浜松新報

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 印刷技術の進歩によって、浜松でも新しく新聞や雑誌が生まれ、その他の出版物も刊行されるようになった。
 
 【三年 伊勢屋】『浜松新報』は、隔月発行の木版誌で聚珍社発刊で連尺町伊勢屋書店伊藤権平から発売され、明治六年五月に第一号、七月に二号がでている(以上現存)。定価一部二銭。菊判六枚(一二ページ)。例言に「方今県下ノ士庶新聞ヲ集テ諸国ノ巷説街談ヨリ政治ノ得失官吏ノ黜陟ニ至ルマテ忌憚ノ恐レナク梓行スル者ハ言路ヲ開キ下情ヲ通シテ衆庶ヲ保護シ民権ヲ立テ業ヲ励ミ生ヲ聊セシムルノ深旨ニ出レハ希クハ天下ノ人聞見ヲ広メ智エヲ開キ世教ヲ助テ文明ノ域ニ進ン事ヲ要ス」とある。記事に小学校建設資金の寄付者の名を連載しているが、そのほか「長上郡安間村ノ民義校ヲ興シ味方原ノ部長ノ旧局ヲ贖ヒコレヲ安間村ニ営マン」としたところ三方原居住の士族が「吾等山野ニ樵シ車馬ヲ引キ僅ニ活計ヲ補へハ他ニ報ユヘキ力ナシ」というところからこれをこわし数百人して六十輌に及ぶ木石を運んだとか「当県浜松小学校教授河野四郎ノ洋算ニ精密ナルヲ聴キ」、「参州渥美郡豊橋ノ士族彦坂菊作ナルモノ」が勉学にきたが「彦坂氏ノ如キ耳順ニ過ギテ猶勉学スル事如此丁壮子第豈奮励勉強セサルヘケン」と述べている。三号以後については明らかでない。

浜松新報 第一号