浜松市史 ニ
第七章 文化の興隆
第六節 生活と習俗
町や村の芸人
旅興行
619 ~ 619 / 686ページ
なお空地または寺院の境内などで、おもに歌舞伎狂言の旅興行が行なわれた。時代は明治になるが、同五年(一八七二)九月、
下都田村
(当市
都田町
)の空地で、
市川鶴治郎
一座の歌舞伎が四日間上演され(
富田準作
『
都田村
郷土誌』)、また同八年十月には、
海老塚
村(当市成子町)の
大厳寺
境内に、
嵐歌女助
一座が、雨天を除く七日間興行した。このときには「根笹の雪」を脚色した「
大厳寺
の仇討」を上演している(
渥美静一
「
演劇
に見えたる遠江」『
土のいろ
』第十六巻第一号)。