浜松市史 ニ
第七章 文化の興隆
第五節 庶民の教養・娯楽
二 建築・絵画・書道
画会
如璋
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思斎
の次男林治郎は
如璋
と称し、絵を
顕斎
に学んだ。安政元年(一八五四)
顕斎
にしたがって
宇布見
・
気賀
・吉田(豊橋市)に、翌二年・三年には
新居
・岡崎に巡学している。しかし家業に従事してからは絵を廃した。明治三十七年八月十六日没。
頭陀寺
(ずだじ)(当市
頭陀寺町
)に葬られた(『駿遠書画名鑑』『浜松著名録』)。