浜松市史 ニ
第七章 文化の興隆
第五節 庶民の教養・娯楽
二 建築・絵画・書道
半香・顕斎時代
顕斎
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顕斎
(けんさい)(一八〇二-一八五六)は
榛原郡
川崎
(
榛原
町)細江の人、名を忱、字を欽夫、幼名元次郎、晩年三谷(さんこく)と号した。
以弘
について画法を学び、文政十年江戸に出て文晃に師事した。
椿椿山
(つばきちんざん)らと交わってますます画技を磨き、天保六年には
崋山
の教えを受けている。
崋山
が田原に幽閉された(天保十年)以後帰郷して、遠江をはじめ駿河・甲斐・東三河を巡遊指導した。安政三年二月名古屋で発病し、四月十三日岡崎で没した。