蝶夢は三たび浜松を訪れ、多くの人を指導し、師として尊敬されていた。中でも
方壺はもっとも敬慕し、寛政二年(一七九〇)
蝶夢の句「村松やみとりたつ中に不二の山」を碑に刻んで、
臨江寺の裏山に建てている。
方壺の家は竹村氏の総
本家で、通称本竹と呼ばれ、
入野村で酒の醸造を営んでいた豪商である。
方壺はその八代
竹村又右衛門尚政で、別号を三山亭といい、
俳諧のほか随筆・紀行文なども書いている。寛政八年(一七九六)十月十八日四十歳で没した。
斗六は名を袴田孫四郎といい、
入野村田端の人である。

蝶夢不二の山の句碑(浜松市入野町 臨江寺)
とほつあふみの記 |
| このやまやさくらはちれと香はのこり | 蝶夢 |
| 散りかかる花そ誦経もこころあれ | 方壺 |
| 花ちりて猶もおくある御寺かな | 虚白 |
| ちるさくらさらに寺とふ人もなし | 斗六 |