浜松市史 ニ
第七章 文化の興隆
第三節 漢学・医学・蘭学
医学
高津元慎
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高津元慎
は
不知庵無為
と号し、本魚(当市
元魚町
)
本称寺
の南隣りにあって、
茶室
・亭もある広い家宅を有していた。家は代々医を業とし、元慎の父は浜松藩主の御典医を勤めた。元慎もまた
医師
で、そのかたわら宗徧流茶道に達し、また立花・生花をよくし、共に門人が多く、柳柯軒を別号とした。明治三十年九月没、享年五十三。墓所
元魚町
本称寺
。翌三十一年七月には有志により、
紺屋町
善正寺
に「
不知庵無為
宗匠之碑」を建立した(
塚本五郎
「浜松の碑銘(二)」『
土のいろ
』復刊第二十九号)。