浜松市史 ニ
第七章 文化の興隆
第三節 漢学・医学・蘭学
医学
小沢衆甫
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小沢家は代々浜松の医家としてすぐれた医方を伝えたが、衆甫は京都の皆川淇園(みながわきえん)について学び、その医業は大いに繁昌した。寛政十二年(一八〇〇)十一月没、享年六十五。墓所
紺屋町
心造寺
。【
仁庵
】その孫
仁庵
もまた連尺の医家として知られた。