浜松市史 ニ
第七章 文化の興隆
第三節 漢学・医学・蘭学
漢学
内田乾隈
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内田乾隈
は
足立東郊
の次男で、
内田氏
を継いだ。【八木正路
楚州
】水野藩の儒員八木正路に従い、のち
大雄庵
の
楚州
に
漢学
を学んだ。年十九、江戸に出て朝川善庵の門に入り、さらに
塩谷宕陰
にも学び、推されて宕陰
塾
の
塾
頭となった。また
蘭学
を修め、蘭医として名声を挙げた。乾隈は藩主忠邦の
天保の改革
については『
破地士等窠
』を著して世論を喚起した。また安政のコレラ流行のとき『防疫貴目』を著し、井上藩に献策して予防消毒に努めた。