国頭の妻真崎(まさき)は元禄三年(一六九〇)京都伏見稲荷の神官羽倉信元(はぐらのぶもと)の娘として生まれた。【雅子】名を雅子(まさこ)(政子ともいう)といい、母茂子は
荷田春満の妹である。伯父春満の娘分として養われ、宝永元年秋国頭に嫁し、夫とともに和歌会に出席している。【
やどの梅 夜あらし】また真崎は宝永四年から元文ころまでに歌集『
やどの梅』八巻(うち一冊のみ
岡部家蔵、『
古学始祖略年譜』)『
夜あらし』一巻『源氏物語』一巻等を著わしている。

杉浦真崎筆懐紙(浜松市鴨江 渥美静一氏蔵)
浜松に嫁(とつ)いだ真崎は、夫国頭に仕え内助に功があったばかりでなく、春満の学問を浜松に伝える契期ともなった女性といえよう。国頭の学問が浜松を中心として、遠州の各地にひろまったかげに、真崎の力のあったことを、忘れてはならないだろう。十一歳の真渕が、はじめて真崎の手習をうけたことは、よく知られている。宝暦四年(一七五四)二月二十九日没、享年六十五。墓所
広沢西来院。法号蓮池院殿清純香大姉。