浜松市史 ニ
第七章 文化の興隆
第一節 寺院と神社
黄檗宗と浜松
禅統
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十二代禅統は浜松
下垂町
(当市
尾張町
)
元目
甚七の三男、幼時から書画に秀で天童と称せられた。
大雄庵
で得度、その法燈を継いだが、のちに出でて
初山
二十二代となった。書画を通じて子弟の教育に専念したが、また明治維新のとき領主
近藤氏
に名分を説いて誤らしめなかったのは禅統の尽力によるといわれる。明治九年十一月十六日五十七歳で示寂した(
内田旭
『浜松の
大雄庵
』)。
いま、
大雄庵
には
石窓
以下歴代の墓碑が並び、漢門は浜松市の文化財に指定されている。