このように訓練された農兵が、あくる慶応四年の内乱で、どのような役割をはたしたのか、おそらく所期の目的をはたすべく、具体的に機能を発揮しえたとは思われない。それは内乱が村落に局限されない規模であったことにもよるが、井上藩自体が倒幕軍の東下直前まで混迷を重ねていたので、農兵出動の余裕もなかったかもしれない。【報国隊】そして農兵重立掛の幾らかは、遠州報国隊として結隊し、倒幕軍に加わったので、これに農兵隊が代行されるかたちとなり、その面からも農兵の動員はなされないで終わったのであろう。
(表)慶応3年9月農兵訓練日
(表)太鼓稽古(有玉組合)慶応3年10月,11月