京都の尊攘派は、天皇を擁して将軍に攘夷の決行をせまった。苦境に立った幕府は、八月十八日のクーデターでようやく危機を脱したものの、天誅組の変が起こって幕府の威信を傷つけた。浜松でも九月六日触をまわし、残党の立ちまわりと同調者の出現を厳重に警戒した。【城下厳戒】それとともに氏神の祭礼に太神楽を催すなど多数の人が集まる場合、その旨役所へ届け出て行なうこと、とくに浜松城内への出入について、他所者はもちろん藩が呼んだ者以外は、浜松町在の者であっても、城門の通過を禁止し、厳戒の態勢をとった。
さらに十月十三日にはこの情勢に対処すべく、つぎのような触が出されたが、その前日の十二日には平野国臣らが但馬の生野に挙兵していた。