浜松市史 ニ
第六章 藩政の動揺と民衆の動向
第五節 水野氏の移封と弘化三年の百姓一揆
怒る領民
主謀者詮議
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藩では翌十一日から村々に間者を入れて主謀者を探索したが、いずれも口を拭って語るものもなく、わずかに被疑者五名を逮捕したばかりであった。そこへ閏五月二十三日ごろにはアメリカ船が
遠州灘
に現われるという注進があって藩役人右手が廻らず、ついつい吟味もそのままになってしまった(このとき
水野家
は松嶋、
井上家
は
米津
海岸を警備した『舞阪町史』史料編一)。当日の難をまぬがれた他の勧農長
庄屋
も、明日はわが身かと家財道具を親戚縁者に預け置き、夜半の嵐にも不安やむときがなかったという。