【塩商人 肴商人】
笠井市の由緒について『川島文書』は、
笠井村は御
検地によって四百石を打ち出されたけれども家数も多く農業だけでは渡世ができない村なので、浜松御城下から塩や肴の「売人」を招き表店を貸したりなどして収入を得て
年貢の責を果たしてきた。【無高百姓】このとき
笠井村の無高の百姓も他から「代品物」を借りたり
買い出してきた「古着」などを市へ出して渡世の足しとしてきた。これが
笠井市の始まりで、人出が増すにつれ
市場も拡張し上(かみ)・中(なか)・下(しも)の三か所とし市日も市(いち)ごとに月二回と定め、「売人」にも軒端商から店借商に進むものも現われた。【近郷農民】こうして追々に近郷の農民までが
木綿布や夜なべで作った縄(なわ)・筵(むしろ)・草履(ぞうり)などを市へ持ち出し、塩・味噌・油・米穀などの「代品替」をするようになって、市はますます繁昌するようになった、と述べている。

嘉永二年笠井市場出入文書 (浜松市笠井町 川島光治郎氏蔵)