浜松市史 ニ
第五章 交通・産業経済の発展と町や村の生活
第四節 産業経済の発展
遠州木綿
作付面積の増加
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作付面積も年々増加していった。浜松の東北にあたる
下堀村
は
天王村
の分村で、高三百六十五石・家数二十軒・人口百八十三人の村(『
国領組諸色覚帳
』)であるが、畑作のうち綿の作付面積を年代順に比較すると別表のとおりで、文化十三年には八四%に達している(
天王町
『
竹山
文書』)。また
有玉下村
では、天保四年(一八三三)には畑二十五町四段一畝十五歩のうち綿の作付面積は十九町六段九畝二十二歩と七七%におよんでいる。
池田村
十太夫が駿州島田宿権蔵とともに「遠州壱ヶ国綿実
問屋
」を立てようと
請願
したのもこのころであったろう(福島町『山田家文書』)。
年代
木綿
作付面積
大豆
諸作
畑総面積
百分比
延享4(1747)
692畝3歩
安永4(1775)
878.12
397.24
(諸作とも)
1275.20
文化13(1816)
1059.9
147.15
61.14
1268.8
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