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 【下都田村都田川流域では安政四年(一八五七)に下都田村と川下の祝田上刑部・中刑部・下刑部の四か村の間で、やはり河水の分配について論争がおきている。
 以上はほんのわずかな例にすぎないが、灌漑用水はもともと水田耕作の死命を制するものであったから、大なり小なりに枚挙にいとまがないほど惹起したことと思われる。