浜松市史 ニ
第五章 交通・産業経済の発展と町や村の生活
第三節 町や村の生活
町屋の発達
町筋の屈曲
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町筋は東海道では
神明町
の神明坂下と
気賀
へ通ずる
紺屋町
の紺屋坂下で大きく屈曲していた。これは城下の町筋の見とおしを防ぐためだという。なお、
高町
の坂は家康が浜松在城当時めでた桜があったというので、
賀茂真渕
が「あか駒を
引馬
の坂のもと桜もとの心をわすれでぞさく」(『賀茂翁家集』)と詠んだ
ひくまの坂
はこの坂だともいう。
青山氏
の
高町の桜
見物もこの桜であろう。