浜松市史 ニ
第五章 交通・産業経済の発展と町や村の生活
第二節 交通の発達
掛塚湊
水野藩と掛塚湊
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市野村
では津出し米は
一色
(
天竜川
畔)から舟で
掛塚湊
まで運び、目減りは湊で補ったという(『
市野村
斎藤文書』)。天保六年(一八三五)浜松藩
水野家
は「お手船」四百五十石積一艘を
掛塚湊
に繋留していたが「屋敷ノ諸荷物」を輸送しようとし「御廻米並御用荷物」でないものの「番抜出帆」は困ると拒絶されている(三
新町
『
鈴木文書
』)。