では
助郷村には年間を通じてどのくらいの人馬割当の負担がかかっていたのであろうか。【
伊場村】一つのケースとして
伊場村の場合を挙げてみよう。この村は
浜松宿からわずか二回の近距離にあって元禄十六年(一七〇三)の差出帳によると、農家百三戸、人口五百四人、村高子十八石で寛永十四年
助郷制が定まったとき最初の
助郷村に指定をうけ役馬二十二疋を有していた。宝暦十年の『
伊場村御用書留帳』(『
浜松市史史料編四』)をしらべると、
助郷勤は毎月二、三回で、とくに陽気のよい四月は大通行が比較的に多く、したがって
助郷勤の頻度も大きい。また
助郷人足は秋冬に出動が偏り、
助郷馬は春夏において連続出勤している。おそらくこの逆の割宛が他組に負荷されていたのであろう。これは
助郷村への人馬割当は全
助郷いちようにかかっているのではなく、各組を順番廻りとなっていたものと思われる。
(表)宝暦10年
伊場村の人馬出動数
月日 | 人足数 | 馬数 |
1.17 | 36 | 人 | |
18 | 30 | |
19 | 23 |
2.19 | 62 |
20 | 44 |
3.14 | | 18 | 疋 |
18 | 9 | |
4.10 | 44 | 9 |
11 | | 9 |
12 | 9 |
17 | 9 |
5.2 | 9 |
6.20 | 10 |
28 | 8 |
29 | 10 |
7.5 | 43 | |
8.21 | 71 |
22 | 13 |
9.19 | 71 |
20 | 27 |
10.20 | 44 |
11.22 | 44 |
29 | 30 |
12.22 | 14 |