この記録からこの年以前に六組もしくは組別支配が制度化していたことが推定される。
【四組支配】延宝七年、藩主青山忠雄が城中に領内庄屋を引見した時、万斛(まんごく)・町(まち)・浜辺(はまべ)・国領(こくりょう)の四組に分かれていたことは前に述べた(『仰青録』)。また延宝八年および元禄七年に浜松宿助郷の村々は万斛・町・浜辺・国領の四組に分けられている(『糀屋記録』)。
元禄のころの組別支配の状況を『浜松領諸役御高帳』によって表示したのが上表である。
(表)代官支配区分一覧(石未満切捨)
代官名 | 熊谷三太夫 | 藤井仙右衛門 | 飯野八兵衛 | 小野四郎右衛門 | 神戸幸右衛門 | 高橋兵蔵 | 計 | ||||||||
敷智郡のうち | |||||||||||||||
長上郡のうち | |||||||||||||||
豊田郡のうち | |||||||||||||||
山名郡のうち | |||||||||||||||
引佐郡のうち | 2135 | ||||||||||||||
麁玉郡のうち | |||||||||||||||
合計 | 村数 | 34 | 44 | 50 | 21 | 39 | 31 | 237 | |||||||
石高 | |||||||||||||||
組名 | 万斛 | 国領? | 浜辺? | 町? | 川東? | 山方(海別)? |