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 明治五年八月二十三日浜松県令(明治四年七月浜松県設置)林厚徳から浜松古城建物の払下げの布達が出ている(新居町関所関係文書』長柄慶一郎氏提供)。払下げの建物は左表のとおりであった。
 これによって当時の建物の大要を知ることができる(天拝門・二俣門・河櫓台など判明しない)。
 翌六年七月十八日、林県令は「浜松旧城址並同地続作左山等」の地所・立木の入札払下げの布達を出している(『県布達』只来村区有文書。大場亀吉氏提供)。その内容は別表(八四ページ)のとおりで、当時の本丸二の丸などの地積が明らかである。そして、すでに六年七月以前に貫属士族の住宅が建ち、開墾もされていることがわかる。【公有地】しかし、これは翌七年三月十七日に「御払下之儀ハ官林公有地等存置払下区別取調方、内務省御達之趣モ有之」(『県布達』気賀区有文書。長柄慶一郎氏提供)取消となっている。
 
古城二の丸建物
大手御門 記録蔵  
榎御門  
二の丸御門  
玄関広間  
元書院時計間  
元御用部屋廊下  
元御居間より三の間まで  
元御台所  
二の丸裏門  
 元勘定所 土蔵  
10瓦門塀総体  
 本丸之分  
その他
鉄門  
菱櫓  
多聞  
天拝門  
富士見櫓  
二俣  
埋門  
清水門  
 銭櫓  
天守台石垣但築立之儘一坪ニ付
 鉄門石垣同所
 多聞石垣同所
 河櫓台石垣同所
計19か所
他ニ番頭柵作左山有之候
合薬蔵壱か所

 
地名反別内訳
貫属居住地開墾地残反別
浜松旧城郭537畝10歩21畝8歩22畝13歩493畝19歩 
跡地内郭     払下分ハ  
      本丸87畝3歩
      二の丸4929
      花畑跡557
      明地1982 
      から堀1038
浜松旧城郭72723 422468429 
跡地境作左山     払下分ハ  
      鹿谷西125畝8歩
      ノ内立木323本 
深谷境北2057払下分ハ 立木 413本
深谷境内35414払下分ハ 立木 741本