【延宝大風】災害の記録はすくない。『
玉露叢』に、延宝八年(一六八〇)に浜松に大風があって
本丸・
二の丸・
三の丸の櫓塀が破損し城下の倒壊戸数三百五十八軒とある。【
安政地震】文政五年(一八二二)には
鉄門の東櫓の修理があり(『
浜松市史史料編四』)、安政元年(嘉永七年、一八五四)十一月四日と同二年九月二十八日の地震も相当の被害があった。普請方の調査(「遠江国
浜松城地震ニ而損所之覚」)によれば上表のとおりで、修理には三か年ないし五か年を要すると報告している。しかしそののちのことは明らかでない。
なお明暦元年(一六五五)八月にも大風雨のため城内に被害があり(『
徳川実紀』)、元禄四年一月・同十三年二月・宝永三年(一七〇六)九月には城内家中屋敷の
火災の記録が残っている(『
浜松市史史料編』)。

明治初年の浜松城