浜松市史 ニ
第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
第九節 駿府移城
秀吉との講和
真田昌幸の離反
46 ~ 46 / 686ページ
あくれば天正十三年(一五八五)である。信濃上田(上田市)の真田昌幸(さなだまさゆき)は
武田氏
がほろんだのち、家康の部下となり、長子信之に上野沼田城(沼田市)を守らせていたが、
北条氏
は、天正十年の和議に反しているといい家康に抗議した。家康は昌幸に沼田城を
北条氏
にかえすよう命じたが、これをきかず、十三年七月上杉景勝に援助をもとめた。【上田城】八月に家康は
大久保忠世
らに上田城を攻撃させたが、景勝の背後には秀吉があり、徳川軍は敗戦をつづけ閏八月二十四日家康は全軍を撤収しなければならなかった。