浜松市史 ニ
第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
第七節 武田勝頼との戦い
愛子信康の死
信康二俣城に自害
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九月十五日信康は、父家康から自殺を命ぜられて切腹する。二十一歳。『
家忠日記
』の九月十五日の条には「未刻より雨降」とあって、まことに印象的である。
二俣
の
清滝寺
に葬られた。
築山殿
関口氏
は信康の母で、家康の正室である。信康は岡崎城に住み、
関口氏
は城内の築山にいたので
築山殿
とよばれた。家康は
築山殿
を浜松によびよせた。