浜松市史 ニ
第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
第七節 武田勝頼との戦い
家康の遠江再度の経営
遠江の徳川武田の勢力範囲
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天正三年(一五七五)になると、三河長篠城を中心にして戦雲が去来する。その結果、五月二十一日の長篠の戦い(家康の六大戦のうちの第三戦)で武田勝頼軍の総敗戦となり、三河国はほぼ家康の
分国
として固定したが、遠江国では勝頼の抵抗が強く、
国衆
もたやすく味方しない。
天竜川
から西はだいたい家康に従っていたが、東部の
周智郡
・
小笠郡
・
榛原郡
は武田方であって、
二俣城
・
犬居城
・
高天神城
はその拠点であった。