浜松市史 ニ
第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
第七節 武田勝頼との戦い
遠江高天神城の失陥
二俣城にそなえる
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六月には
社山
(やしろやま)(
磐田郡
豊
岡村
)・
合代島
(ごうだいじま)(同上)・
渡島
(わたがしま)(天竜市)の諸砦をきずき、
二俣城
にそなえ、長篠を攻撃する。武田勝頼は援軍をだしたが九月八日ついに長篠城はおちいり、籠城の菅沼正貞は甲斐
府中
(甲府市)につれ去られ、室賀信俊らは信濃に帰った。一方勝頼は、七月に右馬助らに所領を加増し、富士蔵人が味方すると駿河・遠江で所領を与え、松井広経らの本領を保証するなど、遠江の経略をつづける。