浜松市史 ニ
第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
第六節 三方原合戦
家康の防戦
交通路の確保
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家康は、信長の援軍をなるべくはやく安全に迎えねばならない。そのためには岐阜から浜松までの通路を確保する必要がある。この通路で最大の弱点は、
浜名湖
を中心とする地帯である。【
宇津山城
】家康は十月二十七日、
松平家忠
にかわり松平清善を
宇津山城
にいれて守らせた。
宇津山城
は、
浜名湖
の西岸
浜名郡
湖西町
入出
(いりで)の湖中に突出した小台地にあり、東岸の
宇布見
に通ずる湖上交通の要地にあたる。
連歌
師
宗長
は、大永七年(一五二七)鵜(
宇)津山城
に一日滞在するが、要害ぶりを『
宗長手記
』に描写している。