浜松市史 ニ
第二章 近世初頭の浜松と徳川家康
第三節 松平家康の躍進
家康の三河国統一
戦国大名家康
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京都では五月に三好義継らが将軍義輝を暗殺した。義輝の弟で奈良興福寺一乗院門跡(いちじょういんもんぜき)の覚慶は、七月二十八日脱出して近江の和田惟政(これまさ)の館に移り、
上杉輝虎
らに足利家の再興を依頼した。このとき家康も出兵の命をうけて、十一月二十日「仰せの趣は粗略に存じません」と惟政に答えている(『
記録御用所本古文書
』)。もはや家康は、堂々たる貫録をそなえた
戦国大名
のように思われる。覚慶は還俗(げんぞく)して義秋(のち義昭)といった。