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佐久城 日比沢城】三遠国境南部の
今川氏の守備線は、引佐(いなさ)郡で
佐久城に
浜名頼広(
引馬城主飯尾連竜の叔父、妻は
懸川城主
朝比奈泰能の女)、
日比沢城に後藤直正、
本坂に
後藤実久が配置されている(その城址がある)。湖西の地は
宇津山城だけである。【
境目城】しかし東部国境から
武田信玄、西部国境から
徳川家康の脅威が急速にたかまってきた永禄十年、
今川氏真は、益田信濃守らに命令して
境目城を構築する地を選定させた。そして
妙立寺を接収することにし、七月三日に士卒を駐留させ、同月十七日には寺領を与えるなどして寺を接収する。
妙立寺は慶長十九年(一六一四)になって本堂の再建ができたという。この
境目城は
宇津山落城の前に陥落した(
彦坂良平「
境目城」『
湖西の文化』第三号)。

飯尾連竜判物(浜松市向宿町 寿量院蔵)

今川氏真判物(浜松市頭陀寺町 頭陀寺旧蔵)

飯尾連竜墓(浜松市成子町 東漸寺)

徳川家康起請文(江馬文書)