目次
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中世編
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第五章 戦国時代
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第六節 民政
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交通・通信
徳川氏の烽火制
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敵兵が侵入したときに、これを本城に急報するため
烽火
(のろし)の制度を定めた大名がある。【
三ヶ野坂
一言坂
】
徳川家康
は武田の兵が駿河に侵入したときに、小夜中山・
掛川
西の山の上・
見付
東
三ヶ野坂
上・同西
一言坂
上に一か所ずつ
烽火
をあげさせて、
浜松城
に急報させる制度を定めた(延宝弐年寅ノ七月付、遠州
見付町
問屋
太郎兵衛等連署
見付町
田畑定納
由緒書
上控「
成瀬文書
」『
静岡県史料
』五所収)。
一言坂
(
磐田市
一言)