目次
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中世編
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第五章 戦国時代
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第三節 今川氏
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今川氏親
松堂高盛の語録
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【
飯田荘
】
掛川
市寺島の円通院(いまは廃寺)の住持松堂高盛(こうせい)によってこの地方に曹洞禅の教線がのびた。「
周智郡
飯田荘
観音寺
藤本坊」の愛菊丸は「天童」といわれるほどであった。松堂はこれに「和光同塵」の宝号を書して与えている。また
飯田荘
戸和田郷の藤原通信・通種は、亡母の十三回忌を松堂の導師の下に修している。
【
増楽寺
東漸寺
】この円通院も
伊勢宗瑞
の兵火に焼失した。
浜名郡
可美村
増楽
(ぞうら)の
増楽寺
住持は、松堂を見舞っている。松堂は縁をもとめて河勾荘の
東漸寺
(いまは当市成子町に所在)に避難した。翌四年孟春(正月)円通院に帰山するにあたり、七言、五十句の長詩をつくり、諸檀那の丹誠に感謝した。松堂は宿泊した性禅寺をはじめ聖寿寺・
増楽寺
・
大洞院
に謝意を表した(『
円通松堂禅師語録
』三)。
東漸寺
(浜松市成子町)