目次
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中世編
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第四章 室町時代
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第三節 応仁の乱
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応仁の乱
足軽の活躍
542 ~ 542 / 706ページ
応仁二年に両軍の動きがにぶくなると、
足軽
(あしがる)が活躍してくる。この雇(やと)い兵は
牢人
(ろうにん)ものか、京都近郊の
荘園
の管理人が騎馬で、有力農民は
足軽
、農民は人夫、という組織であったろう。
文明
(ぶんめい)五年(一四七三)三月に持豊、五月には勝元が死んだ。そして九年十一月にはほとんどの
守護
が帰国し、京都を中心とした応仁の乱はおさまった。