目次
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中世編
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第三章 南北朝時代
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第三節 南朝と北朝
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戦いのあけくれ
義満の大守護弾圧策
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義満は諸国を視察して、幕府の権威をたもつためには、幕府の勢力をしのぐような大
守護
をつくらないことがまず必要だと直感した。そして足利一族でない大
守護
に対し、弾圧政策をとるようになり、
土岐
(とき)・山名・大内らは、つぎつぎに粛正された。
【
遠江守護
今川仲秋
】明徳二年十二月に十一か国の
守護
職をもった山名氏清を討伐したときには、
遠江守護
今川仲秋
は、将軍の馬廻の軍奉行として出陣している(『
明徳記
』)。
その翌年、義満は北朝がわの不満をおさえ、南朝の面目を重んずる形の四か条の合体の条件を提案した。