別のみかたをしてみよう。人間一日の歩行行程は四〇キロメートルが標準とされている。しかしその間食物を得るための労働を行ない、夕方集落へ帰着するためには、一日の労働時間の長短にもよるだろうが一〇キロメートルを越す距離を推定するのは無理ではなかろうか。ただ計算としてはこうなっても、原始社会にあっては、生活領域(テリトリー)ということが厳密に守られていたとしなくてはならないから、当時の人たちの日常における行動半径は、広くても数キロ、狭い時はほぼ三キロメートルくらいであったと推定されるのである。したがってこれを
蜆塚遺跡に移して考えると、
蜆塚人の生活領域は
佐鳴湖を中心とした
三方原台地の南部一帯を占めていたとしてよいわけである。

第13図 三方原台地周辺の縄文時代遺跡群
(△印は無土器時代遺跡 A
次郎大夫前遺跡 B
東平遺跡 C梔池遺跡)