解題・説明
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大正時代に中学校への入学希望者が急増、このため浜松中学校(今の浜松北高等学校)は定員増を繰り返してきたがそれでも大正8年(1919)には入学競争率は県下最高の4.08倍となった。これにより市民は新たな中学校の設立運動を展開、これが実って大正13年(1924)4月、浜松第二中学校が開校、浜松師範学校(今の中区布橋三丁目浜松学院大学の位置)において入学式を挙行、ここを仮校舎として授業が開始された。新校舎は三方原台地の末端の西山台を切り開いて建設、この西山台に移転したのは大正14年2月のことであった。開校時の競争率は3倍以上の難関であった。戦後の昭和23年(1948)4月に浜松第二高等学校、同24年4月に浜松西高等学校となり、今日に至っている。
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