解題・説明
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下流部分は本流のほか、東派川・西派川などに分かれていた。このため、老間・金折・新貝・鶴見や掛塚・白羽などは輪中となっており、暴れ天竜との戦いで苦労したものと思われる。東海道が天竜川畔まで来ると北側にいくぶん向かっているが、これは渡船場をやや上流に置いて、船が川の流れで少し南に着くことを考えてのものであろう。中之町屋とあるのは、中の町村が東海道に沿い、船渡しのために多くの店やこれを支える人家が東海道に沿って町のようになっていたのでこう呼ばれたものと思われる。中の町村のほか、笠井街道に沿い、市場町として栄えた笠井村も町屋村であった。
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