解題・説明
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国絵図は豊臣秀吉の時代と江戸時代に、それぞれの国の田地、山河・里・寺社などを詳細に記して提出させたものである。江戸幕府は慶長・正保・元禄・天保の時に全国的に提出を命じたが、これは幕府の文庫に収蔵され刊行されることはなかった。ただ作成者の手元には若干の控図が残された。三代将軍徳川家光は正保元年(1644)に道路や橋、山などを詳細に記した国絵図の提出を求めたが、一里を六寸で表すこと、これまで庄や浦などまちまちであった名称を村に統一するなど統一した基準で絵図を作らせた。 / この遠江国絵図は絵図に記された各郡の石高が「正保郷帳」と一致すること、相良藩の名前や正保年間以降にできた村名が記されていないなど、正保のころの遠江の情報をもとに作成されていることから、正保の国絵図の可能性は高く、当時の遠江の歴史を研究する上で貴重なものといえる。絵図は美しく彩色され、街道や一里塚、河川、村名、郡界などがていねいに記されている。
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